無限プール

基本的に褒め言葉しか言わない

わたしはエクシフの信徒ではないが

メトフィエスは好きだった。

///

のでメモ。作中で言われていたこととそこから想像できることについて。それから疑問。あとは好きな理由。

①エクシフの教義と信仰対象

②《神子》の名と儀式

③メトフィエス

///

①エクシフの教義と信仰対象

ギドラは高次元に棲む生命体で、エクシフがゲマトリア演算を用いてその存在を数学的に証明した。以来エクシフはギドラを神と定義するようになった。ギドラの名は秘匿されている。黄金の王。虚空の王。終焉の翼。黄金の終焉。そんな風にエクシフは呼んでいたようだ。首が3つ、羽と尾が2つずつ、その姿は七芒星に象徴される。

今回メトフィエスの語ったエクシフの教義を要約すると以下のようになる。

「宇宙は有限であり永続するものは存在しないことが既に証明されている。つまり人の命も文明も、そして星の命も儚く苦悩に満ちたものと言える。それは一つの種が芽吹き、花を咲かせ、果実を残して枯れるのと同様の自然の摂理だ。ならば心を穏やかにして、滅びの先を見据えるほかない。自分が死した後より大きなものの一部になること、献身こそが救いに続く道だ。献身の対象はほかの儚い事物や思想ではなく神に向かうことが望ましい。神は別次元の宇宙に住まう確実なものである。献身ののちの神との合一、これぞ全ての儚いものに対する救済だ」

雑に言い換えれば宿命論に捨身成道の味つけをしたような内容。特に珍しくもない。深遠ではあるが、論じ尽くされたといえば論じ尽くされたであろう内容。しかし滅びの前では実際とても大きな力を持つだろうとも確信できる。尤も神がギドラという怪獣であり、ギドラの前で他の全ての価値を棄却する必要がある事は、エクシフ以外には殆ど受け入れられないだろう。アラトラム号の信者がギドラを前にして逃げ出したのが最たる例だ。

② 《神子》の名と儀式

エクシフは母星をギドラに捧げ、一握りの神官だけが後に残った。ギドラを各星で召喚し救済を広めるべく散り散りになった神官の一団の一部、そのうちアラトラム号に搭乗したのは更に一部だ。

その代表者たるメトフィエスはエクシフの神子として位置づけられる。神子というのは神を口寄せするシャーマンのようなものだ。実際の行為としては、作中の描写によればメトフィエスの観測によってギドラはこちらの次元に干渉しているらしい。祭具を使いつつ色々と計算したりもしているんだろうか?

また、ギドラ召喚のためにメトフィエスが行った儀式には実際いかほどの必要性があったんだろう。スープを配ったあとに詠唱までしていたけれど…。結晶とチップだけではいけないんだろうか。あとは腹ごなし用の供物(アダムくん達)がいれば良くない? それから、ギドラ完全体召喚にはハルオが必要だという理由にも情緒的な部分が目立った気がした。

実際にエクシフが行なっている事の内実は高度に科学的・数学的であるはずなのにもかかわらず、その外面は儀礼を強く重んじるものになっていると言える。それは何故か。

まずエクシフは布教のために難解である事を避けたと考えられる。信仰はまず快いものでなくてはならないのに、難しい数学の講義などをして間口を狭める訳がない。ゲマトリア演算は数秘術的な理論をもとにしたエクシフ式の量子力学論を理解できるヒトが一体どれだけいるだろうか。少なくとも地球人には無理だった。

また、エクシフのギドラ召喚の儀には感情の昂りというものが非常に重要なファクターであったと考えられる。そうでなければ幼少期のハルオにゴジラへのトラウマをわざわざ植えつける必要も、生存している人類を信徒とする必要もない。儀式は感情を操作する格好の手段だ。

けれど、それだけの理由でもないだろう。技術を進歩させ、真理に到達してもなお、エクシフの精神には儀礼が必要だったのではないか。エクシフの神官らの父祖は自ら神に献身する事が出来なかった人々の集まりだ。別の星での献身を広めるために宇宙船で放浪し連綿と世代交代を続けたエクシフの神官の困難は甚大なものであったと考えられる。信仰によって心を一つにする事でしか乗り越えられない。そのために、ある意味で原始的な儀礼に立ち返る事は効果的であったのではないか。

メトフィエス特製スープの場面は聖餐と邪教の風合いを同時に出してきていて、なんだか底知れない良さがあったので演出の部分でもエクシフの儀式というものが大きなはたらきをしていると思う。怪しい呪術や邪教は人の好奇心を煽るものだ。(エンダルフのほうはそんなに怪しくなかったので場所が悪いと思われるけれど…)

これは余談だが、共同体で人肉を分け合って食べるという儀式をわたしはその場面で思い出した。その動機は、聖餐で取り込むキリストの血肉を取り込む事とほぼ同じものである。洗礼を受けた信徒の魂がそのままギドラと合一したという風に考えるのは少し無理筋だろうか。もう少しよく考えたい。

③メトフィエス

しかし一般的な信仰の形態はやはりコンテクストに過ぎない。メトフィエスがエクシフの思想を代表し体現する人物として描かれているのは事実だが、メトフィエス自身が教義をどのように内面化して行動していたかを見るべきだ。 メトフィエスは神子だが、その機能にただ粛々と従うのではなく本人独自の宗教的情熱、そして愛情を持っていたことは間違いない。エンダルフからも指摘されるハルオへの肩入れはその情熱と愛情に由来している。 ハルオへの執着の動機については以下のように要約できる。

「自由意志を持つ人間は稀有。そのような人間は英雄となり、集団を導くことになる。だから神への献身を英雄に行わせる事が出来れば、大衆はそれに続くことになるだろう」

「怪獣は文明の成果、怪獣を怪獣たらしめるのは英雄の憎しみにほかならない」

この思想そのものはエクシフに共通する宗教的な価値観なのか、そこにメトフィエス自身の思想が溶け込んでいるのか、わたしには判別がつかない。エクシフは総計千の星をギドラに捧げ、また地球人を少なくとも数千年見守ってきたとおぼしい。エクシフの布教の歴史は流浪の歴史でもあり、母星の滅びに際してギドラに献身する事を免れた彼らは、より大いなる献身のために自身の栄誉と快楽を捨て去ったものだと言える。これは最も信心の強い者の救済が最も先延ばしにされるという苦しみである。そういう種族の念願の最後に位置付けられるメトフィエスはたったの50歳、つまり彼の半生はアラトラム号内部に終始していた。だから、その前提でメトフィエスの思想が培われてきたという事を心に留める必要がある。

生が呪いであり、苦悩に満ちているのは、地球人類だけの話ではないのではないか。

献身の使命という宗教的な情熱がメトフィエスに英雄を待望させ、そしてメトフィエスは神子として為すべき行為を成し遂げたのだが、それはヒト型種族の行き詰まりに対する苦悩に由来した。だからメトフィエスは教義によって定められた行為によってしか救われない。

メトフィエスはハルオという英雄に理解を求めてもいた。種族の抱える絶望そのものに対する理解だ。ハルオは死して楽になりたいのだろうと、メトフィエスはそう考えていた。これはメトフィエスにとって、エクシフと地球人類の同調だ。この同調こそがメトフィエスのハルオに対する愛情と一体のものである。

このような宗教観に裏づけられた愛が英雄視に繋がり、英雄視する事が更に愛を深めた。愛を注いだからこそその物を神に捧げなければならない、という論理がここで更に発生する。

よって、メトフィエスはエクシフの神官としての信仰ゆえにハルオを慈しみ始めたと言える。メトフィエスの個人的な拘りというのは、ハルオに理解されたいという事ただ一つだ。そしてその願いも、宗教的な合一への待望という文脈に回収され得るものだった。

///

キービジュのメトフィエスはハルオをピエタ抱きしている。まあそれも尤もで、人類の代表にされたハルオの姿はキリストのオマージュだし、メトフィエスはハルオという英雄を文字通り創出したものだ。けれどメトフィエスは聖母には絶対になれなかった人だと思う。彼はあくまで神官としての生き方を貫いたし、ハルオに理解されたいのであってハルオの全部を受容する人にはならなかった。

わたしがエクシフの信徒になれないのは、エクシフの教義って身もふたもないと思うから。わたしはそもそも宿命論が好きじゃないし、それからギドラを神と思うこともできない。ゴジラが神だと思えないのと同じ。だから、エクシフという種族がどうしようもないことでちょっと自家中毒っぽくなってるように見える。でもわたしがまだ終活の必要とか実感を持ったことのない人なので、歳を取ったらまた別の向き合い方をするようになるんだと思う。

だからメトフィエスのことが好きなのは教義に感動して神官に惚れたというのじゃなくて、自分の信仰や役割から出ない人が持つギリギリの欲望が好きになったんだろうね。かわいい。

///

というメモでした。割とマイナー解釈な部分もあると思うので半年後くらいに見返して自分に共感したりしたい…。