“魔女”アビゲイルについて②
長風呂してたら全消えして発狂した。
ので簡潔に覚書。
アビゲイル・ウィリアムズは1692年〜1693年のセイラム魔女裁判における最初の告発者の一人。当時12歳。悪魔に憑かれて痙攣の発作を起こしたんだっていうことになった女の子。ただし前半の裁判記録でしか登場しない。そのせいで「失踪した」とか「売春婦になった」とか後世で創作されて無辜りに無辜った。
ちなみにセイラム魔女裁判ではアビゲイル・ホッブズという同名の少女が魔女を自称して逮捕されてもいる。紛らわしいわ。
このセイラム魔女裁判はすごく有名な魔女狩り事件の一つ。一応魔女狩りについて説明しよう(いるか?)
魔女狩りの全盛期は中世じゃなくて近世。
あとカトリックよりプロテスタントで多い。新教は良い信仰とそれ以外を峻別したから。
産婆みたいな女性の知識を弾圧する教会のムーヴメントみたいに言われてた時期もあるけど産婆以外も死ぬし男も余裕で死ぬ。
ぶっちゃけ友達も家族もいない貧乏人は大体死ぬ。
金持ちでも身内に告発された事例がある。オフコース死ぬ。
行いがよくても死ぬ時は死ぬ。たとえばアビゲイル達が告発したとある女性は地元で尊敬されていた。
セイラムの魔女狩りでは200人くらい逮捕されたんだけど、これより被害者人数が多いものが16世紀に何個もあるのもまた強烈だ。
原因は一番主流の説だと集団ヒステリーだという風に言われている。わたしもそう思う。詐病には思えないし。清教徒らしく抑圧された生活をしている少女達が何かしらのきっかけでおかしくなるのは割とよくあるし。
アビゲイル ・ウィリアムズはたしかに冤罪を生み出した人物であるけれど、子供だった。彼女一人の責任でもない。仮に病気みたいなものなら、尚更責任を問うことが難しいと思う。
ところで、清教徒は演劇を偶像(偽り)と異教と退廃の温床として否定するものだ。
「異端なるセイレム」でもそういう描写はあったけれど、実際ならもっとひどい弾圧を受けたはずだ。演劇の代わりに説法があった。けれどほんとうは、魔女狩りが起きるような共同体には演劇も必要だったのではないか。
厳格な信仰がそうであるように、理性も万能ではない。一定の方向性の情熱と結びついた際には多くのものを抑圧する。そのうちの一つが想像力だ。しかし想像力が豊かでないことはいずれ理性を枯らす結果に繋がる。
「偽りのセイレム」で人々は躊躇いながら演劇を楽しむ。その裏では処刑が行われてしまうし、結局演劇一座は罪を問われる。それだけではなく、実際のセイレムはそもそもとっくに終わっている。繰り返して、死体が生前を再演しているだけだ。
楽しい時間としての劇中劇。処刑時の劇。再演し続けるセイレムそのもの。しかし果たしてほんとうに全く意味のないものなのだろうか?
その結果としてのアビゲイルの話をまた次回。